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緊急事態宣言が解除され、 5月末〜、保育園も再開されました。 子供達は、当初、マスクをつけていましたが、 この暑さの中、熱中症の危険もありますし、外での遊びでは外していいことになりました。 ただし、保育士は給食を食べる時以外は四六時中つけて仕事しています。 これがまたしんどいんです。
さて、恵那・中津川辺りが笠木透さんのゆかりの地であることを私たちが知ったのは、 ここに住み始めてからのことです。 ただ、生まれたのが岩村だということは、会長さんからの投稿ではじめて知りました。 ずっと中津川でフォークジャンボリーを開かれていたそうなのでそこが生誕地かと思っていましたから‥‥。 でも、笠置さんの代表曲である「私の子供達へ」「夜明けをつげる子どもたち」の歌詞をたどると、確かに、ここ岩村の風景と重なります。
私はここで、私の子供達へではなく、 私の孫達への思いで保育をしていますo(^-^)
15〜16年前、初めてこの地を訪れた時、現在住んでいるこの岩村の家付近が妙に懐かしく思われたのは、故郷である富山の砺波平野の風景に似ていたからでしょう。 気持ちが安らぐのを覚えました。 いつかここに住みたいと思い続けていました
ところで、笠木透さんと一緒に演奏活動されていたメンバーの一人、安川誠さん(5〜6年前に亡くなられましたが)のお子さん達が入園されていた保育園(名古屋市)に私も当時勤めていました。
安川さんは園歌も作ってくださいました。 現在、娘さん姉妹は、安川さんが広めていたコカリナ演奏を受け継ぎ、コンサート活動をされています。
「私に人生というものがあるなら」これも笠木透さんの歌ですね。 私の人生は、途中、他の仕事に転職した時期もありますが、やはり、大半は「保育人生」と言えます。 70歳を間近にして、その集大成として、この地で保育できることは幸せです。
不思議な巡り合わせで出会ったここ岩村は、第二の故郷になりつつあります。 みなさん、是非遊びに来てくださいネ。
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